記憶のロンドン

そう言えば、誕生日に明けて一番最初に入ってきたニュースが、英国のEU離脱だった。

そして一番最初に渡された雑誌がコレ。

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すっかり忘れていたけれど、ある時期、一番通った場所がロンドンだ。ほんとよく行った。考えてみたら、第二の原点なのかもしれない。閉ざされていた記憶が少しずつよみがえる。ほんと忘れてた。

ひとまず、ロンドンへ行こう。行きたい!せっかくなら観光ではなく行きたいから、なんか用事できないかなー そもそもあの時、まだEUじゃなかったよね?友達に聞いてみよー

 

アスパラ記念日

5月くらいに、ん?どこか調子悪いのか?と自分の体調を疑った時があった。

フランスのトイレのにおいがしたからだ。フランスの研究所のトイレは、階に2つあった。2つあるんだから、男女に分かれていそうなもののの、そんな概念は全くなし。むしろ男女に分けたら、効率悪いという考え方のため共同。ちなみに便座もない。(便座別売り)そんなトイレなのだが、誰かが薬を服用している時は、いっぱつで分かる。処方された薬のドーズが多く、慣れぬ日本人がそのまま飲むと調子悪くなりさえすると言われているが、おそらくフランス人でもだだ漏れ。というか、余分なものは排出するシステムなんだろうか、薬剤くさい。みな試薬の匂いには敏感に仕事しているため、たぶん皆すぐわかる。

それはそうと、5月にそんな状況に自分がなり、えっ?薬飲んでないのにと不思議に思っていた。結構つづくため、こりゃ病気?と思ったが、ある日突然にやんだ。元気になったのか?まいっか。そして、すっかり忘れていった。

時は過ぎ、6月。がっつり時間をとってずっと作業をして籠っている時があった。とくに何もしてないのに、ん?また同じにおい?? まっいっか、放っておいた。でも、他のことに集中してて殆どのことに気がつかないのに、今気づくってことはかなりひどい?そして日に日に大変なことになっていく。これはヤバいんではないだろうか?数日経つもなくならず、むしろ悪化。これは尿検査に出したらただものではないはず・・・なんだ?と調べてみる。症状におい、どんなにおいって、診断書に書くとしたらゴム臭になるはず。で検索してみると、、、

なんと、アスパラという言葉がいっぱい出てくる。

えっ?

よく調べてみると、アスパラを食べたときになるらしい、驚!

振り返ると、とにかくアスパラを食べていた。気付けば数日過ぎていて、家には北海道産アスパラがあり、ずっと食べていた。むしろ太っといアスパラをメインにして、贅沢に食べ続けていた。幸せだった。その期間、たぶん一週間くらい、以上かも。それと連動して日に日に、おかしなことになっていたんだ・・・・

アスパラにそんな効果、聞いたこと無いんだけどっw

まあでも、そもそも、そんな話題にならないから知らないのか・・・

そして調べてみると、もっとビックリは、消化の問題で「一部の人の尿に排出される」のではなく、「一部の人がそのにおいをかぎ分けることができる」らしいっ。この匂いを知覚できる人は2割くらいという・・・。

 

それからと言うものの、外食で一本のアスパラが入っていても、ほろ酔いでも、知覚する様になってしまった。サバンナで生きていくとしたら、すごい危険察知能力だろうけれども、アスパラ好きとしては、正直いらない機能。 IMG_7799Happy Birthday!とランチごちそうになった時でさえも、ん?っ、ととまってしまう。

アスパラガスとともに。忘れられないすんごい誕生月だった。

 

 

もっと観たい、もっと知りたい

『モノを観ることと情報 「もっと観たい、もっと知りたい」を引き出すミュージアム』という講演にいった。

 

フランス国立図書館(BnF)×大日本印刷(DNP)の「フランス国立図書館 体感する地球儀・天球儀展」は2月から始まっている展示会で、観覧予約がとれずに忘れていた。

先日、思い出して調べてみると、展覧会予約日は合わないけれど、ある講演とセットだと日程があう! 文化遺産の未来や、歴史の魅力など、なんだか難しそうなもののなか、『もっと観たい、もっと知りたい』という私のツボなタイトル発見!日程もあうし、3D天球儀の中に入ってみたいっ!ということで、なにも考えずに即決。

すると、予想していたものとぜんぜん違った!びっくりした!周りはおそらく学芸員や専門家ばかり。講演内容もまさにその通り。友人うっちーがいるような場所に、なんで私がいるんだろう?と考えてしまったほど。 12才から彼女の興味あること、やりたいこと、専門や専攻、大人になってからはプロとしていろいろな話しを聞いてきて、まぁ正直さっぱり理解できていなかったんだろうけれど、まさか、私がこんな話を聞く日が来るなんて。ここでコレきますかっ?!って、予想外の講演を聞いている自分がおかしくなった。

で、内容もとても面白かった。

楽しかった!ここが良かった!とか言えるほど余裕はなく感想はないけれど、えっ、えっ、と「知らない考え方」との遭遇の連続。なるほど。

今までの私だったら、敷居が高くて、また先入観で、最初から興味のアンテナにひっかからないことだったはず。この機会、なにか大切なことのような気がしてならない。

 

 

 

ひさびさ

チューリップも咲き誇り、桜も舞い散り、なんだかかんだか、どうなっていくのか。わくわくする。1つ分かることは、地味だが確実に見える世界が違うということ。

遠泳している気分のような、小学校高学年になる気分のような。でも、ほんと、ふとした時に思う what am i doing here.  点の延長線上だから、いい意味で否応無しに進んでいくし、進んだ先にしか次も無いのだろうけれど・・・ こんなところで、何やってんだろう?と自分でも思わずにいられない。

なんか二重螺旋のような美しくもあり、コンプレックスで、でもわけわかめなとしになりそう。 そう考えると、あれ外から見るから立体であって綺麗に見えだけで、当の塩基たちは目の前のことをやってるだけなんだろうな〜。配置されたいちにいき、その役目をこなす。と、結果、とんでもないことになっている。

両視点が持てる人間に備わった機能を存分に使いこなしたいな。きっと楽しい。それにしても今年は長い、まだ3ヶ月。もう1年以上たった気がする笑

 

へんなのっ

先日お誘いいただいたとき、美知子妃殿下が途中からいらっしゃった。

(メインでも、ゲストでもない。)

で会がおわり、退出の際に大衆は写メのあらし。スマホ携帯ごしに姿を見る。

というか、見ていない。とりまくる!に集中している。

さっさと退出して急いで次にいかれてもいい所を、(むしろ周囲の護衛さんはそう誘導しているし、時間的にもおしている) そんな中時間使って、手を振られたり、話しかけたりしておられるところを・・・

至近距離にかかわず、とりまくる。

これって・・・

別に相手が誰であろうと、すっごい違和感だった。

人間は豊かを求め、豊かに幸せになりたいという。

そして、人との繋がりを欲する。

ブレブレの連写写メをとって自分ではない他人にアピールする?ことと、 ただ目の前にいる人との瞬間・空気感を贅沢なまでに味わうこと。

今をいきる、豊かにいきる というブームのわりには、目の前は何も見えてない。

いや、正確に言うと、携帯の画面はみえているけど。

相手の表情なんて、見てもいなければ、見てても意識してない、流れて今頃とっくに忘れているだろう。

言葉なくとも、伝わるものがたくさんある。

さらに、

目を見て話す。

話している人の目を見る。

目が合ったら、うれしい。

自分の瞬間、相手の瞬間が重なったときの、最高のうれしさといったら。

いないいないばぁ。

 

 

「この惑星の住民は〜 」でつづく、宇宙人ジョーンズ

あの有名なCM

あの一コマがとても好きなのだが、

このCMシリーズ『このろくでもない、すばらしい世界。』というコンセプトらしい。

 

わかるっ!

 

もし、かなうのならば。

先方からいただく参考資料が好き。とくに、こんなのもあった〜、あーこれもあるかも、こんなのも見つかりました、やくにたたないと思うけど一応おくっておきますーと、後から後からずらずらと出てくるものに目を通すのが楽しい。掘り出しものがあったり、すっぽり剥き出しになっている素敵なものが実は多かったりする。そして何より読んでいて面白い。そして本当に勉強になる。手塚治虫さんや長嶋茂雄さんも業界創設者などそうそうたる方々が書きよせたものもあったが面白い。一切こびることがない。圧倒される。おこがましすぎるけど、手塚治虫さんの文章すごく好きだと思った。もし、もしなんでも叶うのならば、いや、少しでも近づけるのならば、歳とともに経験を重ねていき、いつかこういう文章が書けるような人になりたいと思った。

 

ふつう をつくることは難しい

本当に難しい。クセが全くないものを作ることは究極的に難しい。なにかしようとすると、我がはいる、エゴがはいる。それがクセや特徴、個性となってしまう。ふつうではなくなってしまう。ふつうをつくることは、究極的に、おそろしく熟練した職人技だが、職人や芸術家であってはだめ、そんな肩書きやプライドや思いすらも全てが余計になる。抽象的であり、ふつうって、ほんとうに難しい。全てを足した上で、全てを削ぎ落とし、シンプルにするって、無にするって、ほんとうに大変だ。その領域の仕事をしている人たちは、どの業界でもいるんだな。私もここが相当に楽しい。

so satisfied

朝起きて、やることがある。やりたいことがある。むしろやりたいことがあるから、起きる。それは私にとってとても幸せ。寝るのもったいなと思うときもあるけど、その日はその日で電池切れ、パッタと寝落ちする。それもまた幸せ。すいみんもやりたいこと。夢の中でもずっとやっている。そしてまた起きたくなるときがくる。やりたいことがあるから。起きちゃう。顔を洗っていたり、歯磨きをしていると、あっと思いついたりする。そして夢中にいろいろやっていると、一瞬、一瞬が、気づくと長い時間になってて、また夜になって、朝になっている。ほんと面白い。すっごい好きなんだろうな。好きなことのカタチはいろいろ。幸せのカタチも、またいろいろ。そして一歩、枠の外へ。

 

book

「レゴはなぜ世界で愛され続けているのか 最高のブランドを支えるイノベーション7つの真理」デビッド・C・ロバートソン著、 ビル・ブリーン著

価値の可視化や再発見、信念の再構築をしたい老舗やブランドには、どの分野だろうと役立つ。レゴ自体は、組み立てるとどうしても得体の知れない物になっちゃって得意ではなかったけど。

 

国立競技場コカリナの贈呈式

先日、国立競技場近くの小学校で行われたコカリナ贈呈式に行ってきた。

2020年東京オリンピックの新国立競技場をつくるため、今年の1月に周辺の樹木の伐採が行われた。たまたまクライアント先がその担当になり、一緒に現場にいったりしていた。その後も、ビール祭りで相席した方など会う人会う人が新国立の仕事をしていて、当たり前のなのだけれど、たくさんの人が関わっているんだな〜と思っていた。

あれから半年間。移植された大きな木々もあったけど、その他の一部は、和太鼓やコカリナ(木のオカリナ)という楽器として形を変えはじめていた。

コカリナとは、発祥は東欧の民族楽器で「桜の木のオカリナ」を指す。それを黒坂黒太郎さんが日本に伝え、改良を加えていったもの。つまり和製「木のオカリナ」といったところだろう。第一印象ならぬ、第一聴象は、木の素材や湿度が音に直結する木管楽器だなと感じた。木製リコーダーやクラリネットも同様で、だからこそ好きなんだけど、もっともっと不安定で細く、赤ちゃんがピーピー吹いている木のおもちゃ笛の音にほど近い。

実は正直に書くと、私はコカリナを知らなかった。今回は何故かのご縁で知ることになったのだが・・・なんと6年位前から持っていた。(でもコカリナという認識無し) 「あれ、コレどっかでみたことある気が〜、実家の壁にかかっているもらった笛じゃない?」という話になり、送り主に聞いてみればやっぱりそう。友人はどんなキッカケで知ったんだろう〜と思うが、徳島神山の植樹祭の時にも演奏されたというからそこでなのか、たまたま趣味なのか。(しかも先週、出張先のお土産屋で出逢った職人もコカリナをもっていて・・語られるという不思議。でも木工作家だったので、こちらは検討がつく)普通に楽器屋さんにも売っているというが、私は気づかなかった。このように案外知られている物で、私が無知なのか、いや、でもマイナーなのか・・・客観的に後者だと思うんだけど、どうだろか。

そんな不勉強な私で、結婚子育等していないから知らなかったのだが、小学校の3-4年の課題図書だったり、英語の教科書だったりする。長年親交のある皇后美智子さまもコカリナへの造詣が深く、コンサートをご鑑賞されたり、震災の奇跡の一本松で作成したコカリナや各地のコカリナを式典等に持ち歩かれているという。

そんな楽器コカリナが、千駄ケ谷門のとこりにあった樹齢100年以上のケヤキから作られ、まずは国立競技場の場所が「ふるさと」になる子供たち、近隣の小学校生に寄贈された。(朝日新聞等でも掲載)

 

贈呈式には、競技場に思い入れがある近隣のおばあちゃん方も来られていて、♪「ふるさと」などの演奏に涙ぐまれていたが、「”ふるさと”(国立競技場)を思うと胸がジーンとしますよね?」と式の中で大人が話されていたが、私の歳でもまだジーンとまではしないな・・・ふるさといいな〜くらい。小学生、しかもまだ毎日住んでいるだから分からないだろうに・・・とツッコミたくなってしまう自分が何ともいえない。今度は子供達が全員でコカリナを吹き始めると、おじいちゃん・おばあちゃんは気持ち良くなってきてうとう〜、和やかな会だった。

この類いの仕事をすると、2020年という数字が目の当たりになり、あと5年何してるかな、どうなっているのかな、と思わざる終えない。目標とか夢とか無いタイプで、今日が今日、先ではなく目の前、何か夢中になってやっていたことが圧倒的に後付けされるだけだから、考えても旗は立たない。ただ国という枠から出て、流れで様々な仕事を積み重ねていくと、違った物の見方や、視野の幅広さ、見えてくる物が違うんだなとしみじみ、多彩な大人にはなりたいと思う。流れつく先はどこなのか、まだ知らない。

それにしても小学生がお洒落で、手足が長くてビックリだった、笑!