運の意味

 

いろんな国で、いろんな人から話を聞いてきた。インタビュー前は、冴えて寝れないし、直前は緊張し過ぎて吐きそうだけれど、、、でも、やめられない。楽しい。たぶん好きなことなのかもしれない。

リラックスですね〜と言われるけど、内心はそうではなく、何語を聞き、何を話しているのかも分からなくなる時もある。でも多くの場合、自分は素人の、一般の、ふつーのヒトとして話を聞くので、知らない分からないことが前提になる。実際、本当に知らないことだらけで、最初は何を言わんとしているのか手探りで、徐々に分かりはじめ、理解出来る。と同時に新たな価値観を知る。これは、相手が超すごい人だろうが、会長社長だろうが現場だろうが子供だろうが、どこの国でも誰でも一切変わらない。そこにあるのは常に枠外、知らなかった価値観、未知なる感動。時に不躾な質問をしていると思うし、失礼かもだが、本当に皆に色々教えてもらっている。

ただたまに、それとは真逆のことがおこり、自分の人生にインパクトを与える。分かったつもりになっていたということ。

この間、たぶん凄く偉い人に会った。人生面白い縁ですよね、とお話されたが本当にその通りで、私が普通に生きていても接点がない。アンテナもない。だから全く分からない。集まりに来ませんかという話だったのに、急に皆がだめになり、サシですがいかがいたしますか、という。人生は贅沢、おそろしいおもしろい演出。イエス!と叫ぶ勇気すらなく、流れに身を託し贅沢な時間をいただいた。でも何を話したらいいのか、常識知らずで聞きたいことも全く思いつかなくて。結局、その場その瞬間を楽しむことしかできない。でも自然と話もはずむもので、どうして、そんなにえらくなれたのか?聞いてみた。そもそもえらくなりたいと思っていたのか。

すると運だという。(ざっくり言うと)

なるほど。自分も本当に運がいいなと思って生きているので分かるかも〜と思って聞いていたら、同じ”運”でも、全く違うこと話され、もし質問を途中でやめていたら、話の内容を間違って解釈してしまったとさえ思う。ひと回りもふた回りも外にいっていた。

私は、運とは、結構自由度があり必要なものは出会えるみたいに主体的な意味として使っていた。まるで、子供の頃の宝探しのように、どんどんどんどん進めば進むほど自由に、極端に言うと勘が働き半ば操れるようになり?、そこに在る流れみたいなニュアンスだった。努力というか些細なこと、ほんとにちっちゃいことが大切になってくる。しかもそれで終わりではなく、それが機会チャンスという始まりで。あと伝染もする。

そんな意味の運なのかと思っていたら、全く違った。

生きていれば、自分で選べないことが殆ど。(会社がイヤで受け身の人生というのでなく、世の中には本当にこういう人が、職が、役が、位が、沢山色々ある。)自分の意思では何一つ選べないなかで、進んで行く。出会いは選べない。自分の力では何もできないからこそ、運がよい、としか言えないという。だから、出会いが良かった、運が良かった。

結果的に指す内容は全く同じだけど、そこまでの指すプロセスは全く違っていて主体的と能動的とでもいうのか、全く違う意味で”運”を使っていた。

”運がよい”と思って生きていても、全く違うことを思って生きている。

でも結果はどらちもツキがある。

本当に面白いなと思った。

でもどちらも、交わる力や、オセロのように反転する力は大切なコツなのかもしれない。そして運の意味なんて、実はどーでもよくて、運いい!と思っている人が運がいいんだな!と単純、当たり前のことをつくづく感じた。

 

あの日以来、運の両刀使いをし始めたら、見える世界が一回りも二回りも広がった。本当に今までとは違う、考え方に幅が持てた。より運を、出会いを、人を大切にできると思う。そしてたまたまなのか、色々全く違うところから矢が飛んできて、思いつかない方向にと、ぼんやり思っていた方向に、ぐぐぐっと動き出したので不思議。